アメノオト

人形の福祉屋の日々

『センセイの鞄』

 

センセイの鞄 (文春文庫)

センセイの鞄 (文春文庫)

 

  川上弘美、結構好きなんだよね。20代前半ぐらいのときによく読んでいた。最近あまり読んでいない。今回ブログのために引っ張り出してきてパラパラと。

 あらすじとしては、「ツキコ」と、彼女の高校時代の国語の教師だった「センセイ」が居酒屋でばったり再会し、そこから関係を紡いでいく、という物語。

 

 登場人物のツキコは37歳。センセイは70代ぐらい(「三十と少し離れている」)である。当時初めて読んだ頃は37歳ってものすごく大人のような気がしたけど、実は、そんなことはないのだよね、ということが彼女の年齢に近い今となっては、よくわかる。自分とそんなに変わらないけど、じゃあ自分はこういうツキコさんのような生活しているかというと、全然そんなことがなくて。平均的な30代半ばの独身女性というのはこういう雰囲気なのだろうか?とも。

 

 我々のような人の業を取り扱う稼業の者は時の流れが歪んでいるので、正しく歳をとらないのかも、とか考えたり(周りの同業者を見渡してみても、時の流れが皆ばらばらだ)

 

 この本のいいところは、いつも何か一緒に食べているところ(お酒を飲んだり、家でご飯を食べたり、どこかに出かけたりして)、ご飯を誰かと一緒に食べるってのはすごく意味のあることで。この二人のそういう日常を眺めながら、関係の深まりを見ていくとあたたかい気持ちになるのだ。

 大切なひととは一緒にご飯を食べて、時間を過ごして、そして体を重ねてふれあう、といったごく普通の営みが年齢を問わず大事なことなのだ、というようなことを作中でセンセイが言っていて、なるほどこれも家族システムの話では大事なことだよなあと一瞬仕事の感覚も入ってきたり(1:2の「2」の本を読むのにそういう感覚はよくないのだ)。

 

 パートナーとはこういう暮らしが理想的だしこういう恋や愛の形は好き。物語の中でふたりが一番最初に一緒に出掛けるところが「八のつく日の市」。そこで、ひよこを番で二羽買うというくだりがある。ツキコが雄雌の見分けは難しいのにという話をすると、センセイは「ひよこが雄でも雌でもどちらでもよろしい」、「一羽では可哀相だから」と言う、そういうセンセイの在り方ってのが好ましいなあという。

 こうやって季節が流れていくそのひとつひとつが丁寧で、こういうふうに丁寧に人と関係を作るとか、日々を過ごすとかそういった大切なことを思い出させてくれるのである。

 

 

『魔法使いの嫁』

 

 

 

 

 

 

魔法使いの嫁 通常版 3 (BLADE COMICS)
 

 

 

魔法使いの嫁 通常版 4 (BLADE COMICS)
 

 

 

魔法使いの嫁 5 (BLADE COMICS)

魔法使いの嫁 5 (BLADE COMICS)

 

 

 

魔法使いの嫁 6 (BLADE COMICS)

魔法使いの嫁 6 (BLADE COMICS)

 

 

 

 師匠の「読書の比率1:2のルール」に基づいた「2」の本も載せていくことにした。「2」の本の記念すべき初回はこれ。イギリス好き、魔法使い好き、異形好き、にとってはもう堪らない作品である。

 「すべてをなくした人間が、喪ったものを少しずつ取り戻していく話」という物語である。主人公チセが魔法使いの弟子となり少しずつ成長していく話でもあり、導き手でもあるエリアスも実はチセとの関係によって成長していくという、優しい気持ちになる物語。それと、随所にちりばめられたイギリスのあれこれ、イギリスというよりブリテン、と言ったほうが適している。イギリスは魔法使いの国であるし、古くはケルトの時代の文化とか風習とか随所にちりばめられていて本当読んでいて飽きない。半年に1冊の刊行ペースなので待つ時間がじれったくもあり楽しみでもある。

 この本に出てくる魔法使いの1年間の暮らしってのは本当に憧れるところで、リアル生活でも実践したくなるところ。できる限り自然と共に在り、日本に根差した季節の行事を執り行うような生活を心がけてはいるけれど、なんだかんだと仕事漬けの生活では難しいのであった。

 

 

 

『終末期と言葉』・再考

 

ame-note.hatenablog.com

このブログの初回の書評はこの本だったので、再起動に際し改めて。

当時の自分はだいぶ小難しくまとめている。

久々に読み直してみて、当時と感想としては変わらなかった。もう少し情緒的なところはわかるようになったかなと。なので以前と違って読むことによって痛みがある。

臨床経験が増えたことで、ナラティヴアプローチの周縁が当時よりわかるようになったので、職業人としては第2部や「Dの研究」について、よくわかるようになった、ということで。第3部に関する感覚は当時と変わらない。

 

余命半年のセラピストと、そのよき隣人としてのセラピストの往復書簡。

死にゆくプロセスがそこにあって、そして遺るものがこの本、という。

 

5年前に比べて、自分は病床に臥せることが増えたので、病床でこれだけの文章を書いてやり取りするってのがどれぐらい大変なことなのかは5年前よりよくわかる。病状が悪いと文章なんて書く気になれないし、そもそも意識を保っていることも難しい(薬でぼんやりさせてしまうので)。だから、高橋氏は往復書簡や本のための原稿を書いているときって相当体が辛かったのでは、と想像する。でも、それはきっと救いにも似たものなのかもしれなくて、死の3日前まで自分の言葉を受け止めてくれる相手とやり取りできたってことはとても幸せなことのようにも感じる。

 

5年経った今でも、自分はこういうふうに最期を迎えたいなとおもっている。これは生きていることを実感できるだろうし、死ぬことが多少なりとも全ての喪失ではないように感じられるかもしれない。

この5年は「臨終のベッドサイドの椅子に座る人は誰か」問題について、折に触れ考えてきたけれど、つまるところ、こういった最期のやり取りができる相手、ということなのかなと思う。それは、家族でもなく友人でもないが、自分の言葉を受け取ってくれる誰か、なのかもしれない(この本の二人もそうであったように)。

 

 

 

再起動その2

5年ほど放置されていたこの場を再利用できないものかと思案して。

とりあえず、書庫として使ってみるかと。

昔の文章はだいぶ、調子に乗っているので、全消ししようかと思ったけれど。

まあこういう恥ずかしい文章を残しておくのもアリかなと思ってそのまま使う。

 

時は流れて2017年。

なんだかんだとまだ生きているのである。5年前より病気は進行したけどそれでも。

2012年は修士課程に行く直前で相当に調子に乗っていたが、5年経過しとっくに修士課程は終えた。博士課程には結局行けなかったが、アカデミアより臨床が好きなんだというまさかの発見から今もなんと臨床にいる。ついでに転職もした。何もしなくても定年まで雇ってもらえるところに転がり込むことができ、季節の変化がわかる仕事と生活を送っている。ADLは下がったが、QOLは上がったということで。当時貧乏すぎてできなかった高額治療もできるようになった。

SVrも巣立つとか言っていながら数年はズルズルと先生のところにいたけれど、ここは気合を入れて、4月から新しい人に変えた。まだ数か月なので、付き合い始めのカップルのそれのような新鮮な感じですすんでいる。そういう刺激もあってちょっと再開しようかとか考えたのである。本の覚書もほしかったということもある。

ということで、なんとなく前置きがないと再開しにくい性分のために書いておく。

 

 

 

 

 

 

ぼっち旅の2013年

あけましておめでとうございます。

2012年は激動だったので、2013年は穏やかに行きたいと思います。

12月の末に、ようやく巣立ったので、2013年はのっけから孤独な旅をしています。

9月の巣立ちに失敗して墜落して以降、そのまま院試に突入してしまったのであり、非常に不安定な動きだった10~12月。

「もう、ここで出来ることなくなったから来なくて良いよ」的な感じで引導を渡されて帰って来たのが年末も押し迫った日のことで、うすうすそんな感じもしていたけれど。

肯定的に取れば、それなりの達成度があって、一区切りついたから自分で後はやってみていいよ、的なメッセージであるし、

否定的に取れば、厄介払いされたというか(文句ばっかり言ってるし)…。 僕が能力的に至らないのでここで出来ることは今のお前のレベルじゃ何もねーからどっか行け!ということでもあり、どっちとも取れるような感じ。

まあ、もー、どっちでもいいわ、どっちもあるんだろうし、という感じで納得したのである。

 

自分の場合の巣立ちとは、どうもきれいな感じでいかないみたい。

キレイな感じというのは、見送られる感じで準備万端出発するような。

自分の場合はどうも、ムリヤリ出て行くとか、家のモノ持てるだけ無断拝借して夜逃げ的な感じ。

でも、いつもそんな感じなので今回もそうだったのだな、と。

そんな訳で、SVもなくなり研究会も来なくて良いよと言われてしまったので、あの場所からはすっかり離れて、今はつながりがなくなってしまっている。

これからどこでどういうことをしていこう?ということを考えていくのが2013年の課題でもある。

ひとまず、今年やろうと思っていること。

1.仕事

これは今まで通り4ヶ所で。4月からもう一か所増えるので5ヶ所。 5ヶ所目はメール相談の仕事場なので研究していくには丁度良い場所です。 後は今まで通り。

2.お勉強

院生になったので、せっせとお勉強しないといけません。 4月入ってからだと絶対間に合わないのでもうやれるときにがんがんやってます。

3.研究

これもせっせと。学会とかもあちこち行こう。文献を集めよう。調査しよう。

 

これはリアルでのやることです。で、こっちのブログでは何やろうかなあと考えて。

1.読書記録

これは、今までもやってたけど、もっと頻度を上げられたらいいよなあと思っている。 後、心理系の本にフォーカスしていたけど、今度は福祉系の本も挙げて行こうと思っている。(そっちが専門だし) 福祉系の本を挙げている人は周りではあまり見かけないし、ニッチ的な役割が果たせればと思う。

2.対面相談、電話相談、メール相談の差異の話とか

この辺は上手く切りだせるところがあればどんどん書いていきたいなあと。

3.企画的なこと

どこにも行く場所がなくなってしまったので、いっそ自分で作ろうかなあとも思っている。 去年の夏頃そういう話がちらっとあったのだけど結局立ち消えになってしまっていたので、何とか実現できないかなと思っている。これは時間があればだけど。

 

という感じで行こうと思っています。 今年もよろしくおねがいします。

大学院入試の軌跡-Twitterと共に回想する

本日、無事に大学院に合格しました。ということでお久しぶりです。

4月から無事に社会人院生になれることになったようです。

受験勉強と体調不良でブログどころじゃなかったのでした。

ということでここ1年位の、院生になるところまでの軌跡を残しておこうと。

大学院受験しようという誰かの役に立つかもしれないし。

 

◆夢が現実になるまで(H23年)

大学院のこと意識したのはH23年の夏頃だった。 まだ、福祉屋になって3ヶ月ぐらいだったけど、それなり考える所はあったのだ。 でも、何をするのか具体的にはまだ決めてなかった。 何でも良かったとも言えるし、何にも決めてなかったとも言える。 Twitterの心理クラスタのMとかDの人達がとても楽しそうに話してるのを眺めてて、自分もあの中に入って話が出来たらなあと言う羨望の気持ちであった。

羨望していたのは実はこれである。

おっぱいの心理学(通称おぱ心)http://togetter.com/li/218004

 

自分にとっての記念すべき話はここ。これが自分にとって諸々の転機だった。

リネハンとBPDの当事者性あるいはその技法についてhttp://togetter.com/li/174479

 

で、研究会入ったりSV行ったりして時間が流れ11月。 思い切ってSVでその話を相談した。 「大学院で何したいの?」とザックリ訊かれて上手く答えられなかった。 そりゃあもう恥ずかしかったよね。自分の浅薄さみたいなものが明るみに出てしまった。 「…受けたかったら受けても良いけど、バージョンアップすると見えるものが変わるから今とやりたいことが絶対変わっちゃうよ」と言われた。 その時は何がどう変わるかわからなかったけれど、結局その年の受験は止めて、1年先に見送ることにした。

その間、基礎的な勉強をしようと思い、とりあえず統計と英語の勉強はせっせとやった。参考にしたのがこれ。

【思ひ出】統計学のお勉強【心理学編】http://togetter.com/li/161520

とりあえず、ここに挙がった本は全部読んで性に合う本を買ってさらに勉強した。

他にも勉強の参考にしたのがこのへん。

星の書き順と右利き・左利きhttp://togetter.com/li/146581

cocoroshさんによる考察:「星の書き順と右利き・左利き」http://togetter.com/li/147211

 

そのうち、電話相談が自分にとってはベースのフィールドなのだということが自覚されてきて、電話相談の職場が増えたりして、それで、電話相談の研究をしようと決めたのが3月。福祉屋になってから1年経っていた。そこからは早かった。

自分の研究者マインドが芽吹いた瞬間もTwitterをしていた。

インターネットのつぶやき相談の可能性~実験第1弾まとめhttp://togetter.com/li/248289

Twitter相談の可能性と相談メディアの差異http://togetter.com/li/247267

 

◆研究構想~研究計画(H24年~秋)

電話相談の文献はそんなに数が無かったので大体の文献は7月ぐらいまでに全部集まった。国会図書館行って調達してきたり、論文feedを作って集めまくった。

7月頃~研究計画を作り始める。卒論も書いたことなくて論文というものの構造が全くわからなかったので、とりあえずグーグル先生に教えてもらい、それ系の本も何冊か読む。 更に、知ってる限りの修士持ってる友人知人に頼んで(圧力を掛けて)修論と修論の研究計画を頂いてきた(強奪した)。で、ふむふむこうなってるのね、と学習して分析してみた。

で、自分でも書いてみた。でも良し悪しがさっぱり判らない。 仕方ないので、SVで先生に添削してもらった。「これは院試レベルじゃなくて中間発表レベルなのでやりすぎ。もっと素朴に」と謎の評価。それに沿ってとりあえずダウングレードした。(素朴なのが良いということであった) 結果、この方針は試験当日に間違いと判明するのだが、ここではそのようにまとまる。 そんなこんなで、研究計画が完成し願書を提出した。これが11月中旬。

 

◆学科対策(11月)

一応専門科目の試験があった。普段仕事していることだけど念のため。 試験まで15日ぐらいしかないのでそんなに時間も無い。 過去問をとりあえず分析する。 どうやら、社会福祉史と福祉法制とソーシャルワーク技術は鉄板らしい。それに絞る。 そういえばTwitterでどちらのトピックも自分のツイートがTogetterされていた。

自立支援法における計画相談給付とは?http://togetter.com/li/391616

近代精神保健のあゆみ簡略版http://togetter.com/li/397921

 

今年は丁度、障害者自立支援法の相談支援給付と、障害者虐待防止法が始まった年であり、来年は障害者総合支援法が施行される。それがわかれば、まあ大丈夫だ(これは普段仕事でやっているので全く問題ない)。 統計資料が必要かと思ったので、発売直後の『国民の福祉と介護の動向2012/2013』を端から読み暗記。ついでに国家試験用のテキストも調達しこれも端から読み暗記。 やったのはそれだけ。後は過去問を全部解いた。 過去問と自分で作った予想で合わせて20問ぐらい論述を解いておいた。

 

◆試験当日

前ノリしていてホテルを出たら大雪であった。体調がみるみる悪化。 会場に着いたら、皆頭良さそうで焦る。そこでも経験値が最もペラペラなのは僕だった。

 

学科は仕事で携わってる所がたまたま出題されたのであっさり終了。

多分、運用している中の人しか知らない事情の話も書いたので得点は高かったと思われる。

 

待機時間中、皆で勉強そっちのけで研究の話で盛り上がる。 皆、既にローデータをもっているらしい。ヤバい。 研究計画の話もしたところ、研究の細部と分析は書いていないとまずいとのこと。 (これは受験生のひとりが、直接大学に確認したらしい)

オイイイ!だから言ったじゃんかバカ!とSVrを一瞬呪ったが致し方ない。僕のせいである。そのまま面接になだれ込む。

 

面接官に「でんわそうだん?福祉なのに?」みたいな反応されて、うわーと思いつつ情熱的に喋る。結構壮大なことを喋ったと思う。50年後ぐらいの地域福祉の理想について話をしたと思う。なんだかんだで面接官と盛り上がった。そして研究デザインの話に。 一応、ダウングレードする前の調査方法と分析を口頭で語り取り繕う。 「君ィ、そんだけ詰めてるんだったらここにそれも書いておいてよ」 ハイソウデスネ、スミマセンゴメンナサイと平謝り。それで面接は終わり。

 

で、本日合格通知が届いた。ということで1年に渡る受験勉強はひとまず終了したのである。

こうして振り返ると、Twitterのおかげで色々と僕は賢くなったのであった。 ありがとうTwitterの皆。感謝の気持ちでいっぱいである。

巣立ちの話

田村先生のひきこもり支援の講演での話から抜粋。

◆◆

親鳥は、雛鳥を巣で育てて行く。 雛鳥は成長して、若鳥になる。

羽が生えそろえばもう、巣から飛び立って行ける。

でも、ちゃんと飛べるかわからない。

もしかしたら飛べなくて巣から落っこちちゃうかもしれない。

それが巣立ちを躊躇させる。

 

せっせと巣の中で大切に育て、無条件肯定を与えるのが母性。

「もう、ひとりで飛べるから大丈夫!」とひとりで進む勇気を与えるのが父性。

勿論、羽が生えそろってないのにGoサインを出してはダメだから、ちゃんと飛べるようになっているか見極めること、Goサインを出すタイミングをきちんと見極めることが大切。

日本社会では、母性性は根付いているけれど、父性性は弱い。

だから、子どもはいつまでも巣から離れられない。

「あなた…羽は生えてるの?ホントに大丈夫なの?」と訊いていては、いつまでたっても飛び立てない。

◆◆

そうだねえ。そうだなあ。としみじみした。

それを聴いて、僕は今日飛び立つことにしたんだよね。

ちゃんと飛べたから良かった。

 

支援者としてもそういう見極めをしてクライエントの巣立ちのために背中を押してあげられる力が必要だと思う。 ずっと関わってきた人に背中を押して貰えるのは、物凄い承認と愛とに満ちているはずだからだ。