アメノオト

人形の福祉屋の日々

「物」への執着と手放すこと

片付け、というのは公私共にホットな話題。

仕事では、対象者の家に訪問したりして部屋の様子をぐるぐる見ている訳だけど。

大体、ゴミ屋敷か潔癖な綺麗さかどちらかだ。 ゴミ屋敷の方が多い。

ゴミ屋敷は様々な伝説をこの仕事の人間は持っているはず。

僕は、そんなにひどい所は見ていない。せいぜいよくわからない虫の大群ぐらいで。 よくわからない虫ってこわいんだよ。ゴキブリの方が素性が知れてる分マシである。 とはいえ、ゴキブリだらけの家だって流石に長居するのは難しい。

知り合いの同業者にきくとネズミの大群の話なども聞くし、虫はマシな方だ。

ドア開ける時にガンガン棒で叩いてネズミ散らしてから入るとか聞いた。

多くの人は「部屋を片付けられない」とか言うけど、そういう疾患由来性のゴミ屋敷と比較すればどれもこれも何とかなる話なのである。

 

物を捨てればいいじゃん、と。

 

僕は基本的に物に執着しないので必要なくなるとすぐ捨ててしまう。というかあまり持っていない。

物への執着とは何の物に執着するかでその人が何に執着しているのか判る。

過去に執着する人は、学生時代の教科書とかノートとか捨てられなかったり。

関係性に執着する人は、人からもらった物が捨てられない。

不安な人は、いつか使うかも、と使わないモノを保管する。

 

そうやって、荷物が増えると心が窮屈になる。そういうところから自由だと身軽だ。

 

過去の栄光は、現在の自分の在り方にどれくらい影響しているか。昔頑張って今の自分が居るならもう、それは持っていなくても良い。

関係性は、それを捨てた位で損なわれる関係ならそれまでだし。

今使わないものはきっと将来も使わないのだ。必要になればその時また求めればいい。

 

だけど、そんなに上手くは行かないよね。 僕もそういう執着がある物品は幾つか持っているし。

その物を持っていると、自分が嬉しかったりワクワクしたりホッとしたりするかという基準があるし、物が活き活きとするかどうか(自分が持っていることで価値を持つものか)という基準もある。

それらを満たさない物は、物のためにも手放してやる方が良いと思う。

活き活きとしない物はもう死んでいるのと同じなのだ。

そういう問答を繰り返して尚手元に残るものは自分にとって価値ある物であり、物にとってもそれはきっと幸せなことなのではないか。

愛着ある物を手元に増やしていくと、物がいちばんいい状態であるように環境を保つようになり、物を手入れするようになるので、結果として部屋はキレイになって行くのである。

そうやって、片付けをすればいいのではないか、と思う。

片付け指南本とかに書いてあるのってこういう話じゃないんだろうかね。

テクニックよりも動機付けの所が重要なんだと思う。