『解離の心理療法』
岩崎学術出版社
売り上げランキング: 60668
話題だった解離の本。と言うことで買って読んでみた。
僕が解離のことを語るのは当事者性を帯びるのでイマイチで、良くはないんだけど、そのへんを踏まえて読んで頂きたい。
まず、この本とても読みにくい。当事者性を帯びていたら特に読みにくいと思う。
僕はあんまりスッと読めなかった。色々と感情が蠢いていた。
「えー、それ違うでしょ!?」「なんでそういう決めつけ方すんの?」と怒ってみたり、 「解離の人はこのような目でTh.から見られているのか…」とがっくり来たり。 「こういう表現だと初学者が勘違いするじゃないか!」とやっぱり怒ってみたり。
…とまあ、怒ったり悲しんだりしていた。
そういう意味で心の中を乱暴に掻き乱してくれる本ではある。
そういう本は貴重であって、掻き乱れるということは本質には近いということかもしれない。
◆
この本での話を読んで僕なりの解釈を書いてみる。
解離とは精神病水準の不安を回避するための手段、ということなわけだよね。
「精神病水準の不安」とは何か。それは乳幼児期における解体不安である。
「解体不安」とは何か。それは「死の不安」。言葉を持たない乳幼児の感じる死の不安、ということである。これは、母親が育児でちょっとした失敗をした瞬間などに起きる、ということのようだけど、これは乳幼児じゃないからよくわからん。多分、泣いてもミルクが来ない、とか。瞬間、母親の姿が見えない、とかそういう時に起こるんだろう。
で、この「精神病水準の不安」は、誰にでもあるということなわけで、 その後、もう少し成長してから起きる外傷的な局面が、解離を起こしてくる、という話。
じゃあ、その外傷的な局面て何?ってことで、繰り返し出てくる、 「母親のネグレクト的環境下で起きる、性的虐待の体験」というフレーズ。
ネグレクト的環境=本来守ってくれるはずの母親が不在=外的環境に期待できない
性的虐待=こころとからだがばらばらになる体験=自分のコーピングスキルを超えたヤバい状況
で、このどうしようもない状況はその乳幼児期の精神病水準の不安を刺激して、もう大変!!という感じになって、それを処理するために解離というシステムが動きだすということの様子。
…とまあ、これはよくわかる。しかし、著者も「トリガーは性的虐待に限らない」とはちゃんと書いているんだけど、本全体の章の中の喩えが全部、性的虐待で構成されているので、ななめ読みすると「ああ、解離性障害の人って性的虐待された経験があるんだ」という直線的な理解しちゃう人が出てくるんじゃないかと思う。
紛らわしいのでそういう喩えはいちいちフレーズとして要らんだろう、というのが僕の意見。「精神病水準の不安」でイイじゃん!と。
僕はこうして、今はもう支援者になっていてそこそこ人並み以上に平穏に暮らしている訳なんだけど、それゆえに結構、他の支援者に不躾な質問をされる機会はある訳で、「解離性障害ってことは性的虐待があったんですか?」みたいなどストレートなデリカシーに欠ける質問を受けることがある。
こういう質問をする支援者は正直、支援者を辞めた方が良いんじゃないかと思うけど、そこは黙ってニコニコ回答している。
そういうステレオタイプ的フレーズとはあちこちの専門書から吸収されてくるのだろうけど、つまりそういうふうな目でCl.のこと最初から見てる訳よね。そんな人に自分の心を開示する訳ねーよ!と思うんだよ。
Th.とCl.の出会いとはもっと真っ白から始まらないといけないと思う。(これはこの本にも書いてあった)
◆
実践のプロセスについては、丁寧に書いてあるんだけど、ベースが精神分析なので他の技法を使ってる場合は、その技法のプロセスで考えて変換して行くという作業が必要。
それを踏まえて読むと、精神分析って独特だなあと思う。僕は精神分析を詳しく勉強している訳じゃないし、そのへんについてはよくわからない「ふーん、そうなんだ」ぐらい。ただ、精神分析、精神分析的心理療法と解離性障害の相性はあまり良くないんじゃないかと思う。その「精神病水準の不安」が増幅されるという点であまり良くないような気がする。解離システムにとってもあまり優しいとは言えない気がする。気がするだけだけど。
文脈として、解離システム皆でやっていく、という文脈ではないことはわかる。いつのまにか交代人格は居なくなっていくような感じで。 ナラティヴとかSFAとかCBTだとそのような文脈じゃないんだよね。 上手くやって来たことを伸ばして行く、上手く行かないことを工夫して行くという感じで、システムがどうかとかはそうは影響して来ない。 このへんは、解離システムを統合するのが良いのか、バラでもいいのかという話になり、もう拡大していくので割愛。ちなみに、僕はバラでも良いと思う。日常が回るならね。
◆
ここでは「セラピストに求められるのは根性」という話もあって、それもまあそうかな、と思ったり、でも、精神分析的心理療法の実践で果たして根性が発揮されているのか、とか、この本のケースを見る限りでは思う。だって、状況があまり変わらないのに打ち切りしてる。それって根性足りないんじゃないの?とかふっと思ってしまう。
解離性障害の人に対するセラピーで大切なのは、「Holdingし続ける根性」だとは思うんだけど、精神分析ではHoldingの感じはないような。技法的なモノなのか、この本だけそうなのかわからないけど。 どうにもならない時、どうにもならない感を共有する、というのはどの技法でもどの職種でも求めらていることだなと思う。
◆
交代人格の取り扱いの話。これもまあ色々色々思う所はあるけれど、僕はまあ…名前ぐらいは呼んでほしいと思うんです。そういうふうなことを書いてある本は殆ど見ませんけど(どの本にも交代人格を個別に取り扱わない方が良いと書いてある)。個別に扱わないのと、存在を認識しないのとはまた別物だけど、ごっちゃにしてるTh.は多いと思う。
名前呼ばれないことがどれだけきついかってことは、多くのTh.はよくわかっていない。目の前に居るのに常に存在を無視されているということであるよ。無視するくせに色々指示的にアレコレ言ってくるというのは全然関係として成り立たないんだけど、Th.はそれが当然と思っている節がある。
僕の言うことは多分物凄くマイノリティでもあるし、所詮は当事者の戯言ではある。しかし、もう少し深く考えて欲しいとも思うんだ。
という色々考えさせられた本ではある。 結構しんどいよね。僕が自分のことを開示した時(Twitterでは殆ど開示しているが)、同業者からどう見られるのか(見られているのか)ということがよくわかる本であった。
でも、基礎的なことは丁寧に書いてあるからとても参考になると思うよ!
この本の解離性障害の人に対するまなざしについては僕はちょっと気に入らないです。
そんな本でした。