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アメノオト

人形の福祉屋の日々

最期の時、傍らには誰が居る?

電話相談では身体疾患を抱えた人の相談もよく受けるのだけど、そこでは大抵は死生観の話になることが多い。

何故ならば皆死期が近いから。突発的に死ぬかもしれないから。 もしくは抱えた病気は治らないからである。

 

「ベッドサイドの傍らで何も言わなくて良いから、手をずっと握っていて欲しい。そういう人が欲しい。そういう人がいない」

 

これは、孤独感の話だ。死に方の話でもあるから、孤独な死が嫌だってことだよね。 誰か自分のことを大事に思ってくれる人に見送られて死にたいというのは当然だ。

ひとりぼっちで病気と共にある人達は、いつも手を虚空に伸ばしていると思う。

その手を掴んでくれる人を探している。

電話相談では支援の枠に限界がある。

自殺を実行していたら、電話がつながってももう助けられないこともある。

その人を死から引っ張り上げることが不可能だとわかった時、僕らの仕事はその人の最期の声を聴く役目に変わる。

最期の、死に際の声を聴くのは重い。

ただ、そこでどんな言葉を紡ぐのか、聴くのかということで、 その人の死が少しでも肯定的な意味合いに変換されれば良いと。

孤独だから死を選んだその結末に誰かが誠実に寄り添うならばそれはまだその死を選んだ人にとって救いのある話なのかもしれない。

救いなんて無いんだけど、これは遺された支援者のためにそういう解釈をするということだ。

もっとそうなる前に止めるべきなんだよね。ホントはね。