電話相談と希死念慮
電話相談の仕事では、自殺を実行しようとか実行中もしくは失敗直後の人が電話を掛けてくることがある。
というか、電話相談は自殺に特化していることが多いので殆どこれだ。
もしくは希死念慮レベル「死にたい」(具体的でない)とか。
「死にたい」は「死にたいほどつらい」であることが多く、具体性に欠けている場合は、話をしているうちに「何の話をしたかったんだっけ?」みたいになって電話が終わる。
しかし、逼迫している場合はそんな何となくではマズイ。
「今首吊ったんですけど、紐が切れた。どうしよう」
「家にあった薬、中身見てないけど500Tぐらい飲んだ」
「手首をはさみで切ったら血管が切れてあたりが血の海になっている」
「部屋を目張りしてガス栓をひねった」
「車の中で練炭をたいている」
「ビルの屋上に来た」
「踏切の前に居る」
様々だ。これがホントかどうか第一声ではさっぱりわからない。 まずはあれこれと置かれた状況を訊いて行く。この状況でのんびり傾聴していても命に関わる(傾聴と状況確認のバランス感覚重要)。 いつ実行したのか、その場にはひとりなのか、連絡取れる人はいるのか、病院はどこか、等々。
話しているうちに、なぜそのようなことになったのか、を相手が話してくれる場合がある。 色々と事情があるが、僕が聴く範囲では物凄い簡単な環境調整レベルで解決する話もある。
「えっ…!そんな解決方法があるんですか!」とさっきまで首つってた人がキラキラと声に張りが出てくる。
(そんなことでアッサリ死なないでくれよ……)と脱力する。
この人はこの電話につながったから運が良かったなあ。
それで死んでたかもしれないんだから。
そういう時、「こうやって、誰かと一緒に考えればいい案が浮かぶこともあるんだし、ひとりで悩んで死んじゃうの、勿体ないですよ」と言う。
これは結構本気でそのように思う。
これは、何とかなるタイプの話。
◆
毎日毎日自殺企図を起こして電話してくる人も居る。
毎日OD、毎日自傷。救急車ももうお断りされるようなそういう感じの人達も居る。
この人達は一体何が目的なのか。
自殺したいという割には毎日毎日、同じ手段だ。
抗不安薬10Tとか、自殺するにしても微妙にやる気が無いのである。
もしかして、プロセス嗜癖みたいになっているのでは、と一瞬思ったりする。
電話相談は、真偽を問いただすことが出来ない性質なので、基本的に最悪の状況が起こらないように振る舞うことになっている。
となると、結構優しいのである。相談員によっては割と心配するし。
対面でかかわっていたら依存を引き起こさない程度に枠付けできるような状況でも、電話相談だと難しく、ズルズルと依存を引き起こす場合もある。
そうすると、自殺じゃなくて自殺企図によって心配して貰うことが目的になる。
それでも、そんなことしないと誰ももう気に留めてくれないんだろうという状況には色々と思う所もある。
直で関わる支援者に冷たくあしらわれていることもある。
(それは病院の選定から失敗しているような場合もある)
人に相手にされなければ色々なアピールはどんどんエスカレートするし、エスカレートするたび、傷を負うのである。それで他人も自分も嫌いになる。
だから、そんなこと毎日しなくたって、あなたのことは心配だし、気にかけている、と電話でせっせとメッセージを送って行くうちに上手く回復することもある(しないこともある)。
電話相談に時間が許す限りずっと掛けてくるような人達は、人格水準がかなり下がっていて、ひとりで形を保っていられるようになるまでには結構時間を要する。対面相談につなげたくてもほとんどの場合つながらない。大体皆耳に痛いことを言うからだ。電話相談では殆ど言われないからそれになれていると、直接的な支援がハードモードになってしまう。
僕そういうの嫌なので、あまり甘々にしない。
それなりに痛いことも言うし、グズグズにしないよう現実的な枠で話をしている。
だけど、言って欲しいことを言われるまで電話を切らない人も居るので困る。
僕はそれでも言わないんだけど。
電話相談の相談員の中には、過度に迎合する奴が居るのでそういう奴が依存を引き起こすのだ。 ごく一般的なヒトとヒトとのやりとりの枠で会話しないと上手く行かなくなる。 一度枠を崩してしまった場合、立て直すのに相当な時間コストを要する。 そのへんは、現実の構造枠を崩したりした時の大惨事とよく似ていると思う。
必要なのは、その人の悩みや苦悩を魔法みたいに解決することでもなく、その人が自分の力で解決できるよう関わることじゃないのかなあ、と思う。