アメノオト

人形の福祉屋の日々

薬の印象値

木曜日から病状が増悪していて、結構大変だったなあ。

痛みで気絶するなんて初めての体験だったよ。
喩えた所で陳腐だと思うけど、骨ごと轢き砕かれるような痛みだったな。

<ああ、なんで痛覚があるんだろうおかしいなあ>と思って痛みの中考えていた。
薬の効果が剥げたりすることはたまにある。
代謝の問題なのかもしれない。ヒトの身体の恒常性なんていつも一定ではない。

薬の効果が剥げただけでは、そこまで痛くはならないはずだけど、おそらくは「痛い」と認識してしまったので、一回認識しちゃうとしばらくは感覚が活性化しちゃうんだよね。
痛みがぼんやりするように催眠暗示をを自分でスクリプト作って掛けているが、暗示とは脆いのでこのように現実的な痛みを受けるとすぐ解けてしまう。
そういう意味では鎮痛剤じゃなくて鎮静剤の方が適切なのかもしれなかったり。
その日は鎮痛剤と麻酔をカクテルして打ったけど、鎮静剤でも打った方が良い解決だったかもしれない。



薬は本当に凄いチカラを持っている。
精神科領域で働いていると感じるけれど、クライエントの大体は薬が嫌いだ。
クライエント然り、クライエントの家族然り、社会通念(本とかマスコミとか)然り、盲点として支援者の一部もそうだ。

薬はよくないもので、なるべく飲まない方が良くて、副作用が恐ろしいモノ、という風潮だ。

必要なモノを必要なだけ使えば、それで良いと思うんだよ。
でも、そうじゃない人達は案外多い。

僕は、色々と面倒臭い病に冒されているので、薬が無いとまず日常生活は送れないし延命も出来ない。ADLもQOLもあっという間にがた落ちだ。こうしてブログなんて書いていられないし仕事も行けないし、大方寝たきりで呪いのように痛みに呻いて呻いて発狂するか、自殺するか、というような状況になるのではないかと思う。勿論、病そのものも進行するので、より体は自由が利かなくなるだろう。ロクな結末が待っていない。

でも、こういう状況の僕にも「薬は毒だから使うな」という助言をしてくる輩もいる。

えー、そんな拷問みたいなこと言うの?じゃあ、その代替案って何だろう???

代替案とは、謎のサプリ、謎の水、謎の××(何でもいい)、そして信仰。
見えざる力で僕の病は治るとか。似非科学とか新興宗教。
そういうの、嫌ってほど聞かされてきた。

いや、心理的には効くのかもしれないけどね。
僕はもう「下らんわ」と思ってしまうのでおそらく心理的効果は皆無だろう。

身体の病気だとこういう話はとっても変な話だと思うんだけど、精神科だとそうならず、薬物治療を排斥する方向に動くなあ、と思う。
これは、支援者であってもこういう考え方を根底に持っている人が居ると思う。
カウンセリングだけを執拗に求めるクライエントやセラピストはちょっとそういう傾向がある。
僕はカウンセリングは麻酔無し手術と思っているので、どちらかといえば薬物療法のみで片付くならその方が良いと思っている(実際、薬だけで全快、という感じにはあまりならないとは思うけど)。
大体の人はカウンセリングより薬物療法の方が危ないと思っている。ホントは逆だと思う。

でも、そういうイメージになる位、薬は危険なイメージなんだなあ。
結構みんな、適当に使ってる薬とかあると思うけどね。ロキソニンとか。
そういうのはよくて、向精神薬はダメとかね。どこに線引きがあるんだろうね。

僕の話を例にすれば、ロキソニンボルタレンを使ってる頃は誰も何も言わなかった。でも、点滴を打つようになったら不穏な空気になった。抹消や中枢神経を弄るようなタイプの鎮痛剤を使うようになったら皆もうついてこれなくなったし、オピオイドまで手を伸ばした時点でドン引きだった。だけど、どれもこれも鎮痛剤だし、適正使用だった。免疫の薬は免疫抑制剤って言っただけで皆ドン引きだったけど。

そんな程度の知識理解で、「薬はよくない」だなんてよく言ったものだな、と思う。
受けられるはずの恩恵を受けないなんて文明的じゃないんじゃないかなあ。

クライエントはまだ仕方ないけど、支援者はもう少し勉強してないとダメだろう。
クライエントのそういう不安や偏りを煽ってはいけないんだ。